・節分の由来
竹子の部屋へ行く
節分の由来
せ・つ・ぶ・ん
節・分
季節を分けると書いて「節分」・・・・と感じから読み取ってみたわけですが、まさしく節分とは春夏秋冬を分ける日のことなんです。
・・あれ?ということは、本来節分は一年に4回あるってこと?
でも、節分といえば2月に行うもので、4回も豆まきはしないよな?
じつは、現在節分といわれているものは立春の一日前の日を表すのです。
これはこの時期が一年の初めとして大変重要視されていたため、いつの間にか、節分といえば、春の節分のことを指すようになったそうです。
では、なぜ節分には豆をまき鬼をはらうようになったのでしょう?
実は、季節の変わり目には邪気が生じるといわれており節分とはその邪気を追い払うための宮中行事だったんですね。
(邪気というものは目には見えませんが、コレを目に見える形にしたものが鬼なんでしょうね)
平安時代には追儺の儀式と呼ばれるものがありました。
元々は中国で行われていた行事が文武天皇の頃に伝わったといわれています。
'追儺'とは悪鬼・疫癘(えきれい)を追い払う行事で、陰陽師が祭文を読んで方相氏が矛と盾を持ち宮中を歩き回ったそうです。
この方相氏は面をつけて大内裏を掛け声をかけてまわり厄を祓って廻るんだそうです。
また、大内裏の門に土で作った牛と童子の人形を大寒~立春の前日まで立てておき、邪気が侵入するのを防いだりもしたそうですよ。
その後、この方相氏がなぜか鬼として追い払われる役になってしまったそうです。
この宮中の行事が室町時代になると庶民にも浸透して今のスタイルが出来たといわれています。
この行事今でも平安神宮で節分になるとおこなわれているので一度詣でてみるといいかもしれません。
衣装から際具にいたるまで忠実に再現されていて見所満載です。
東京浅草、京都の花街などえでは舞妓さんなどが節分の前後にいつもとは違った衣装を着て邪気を追い払うという行事もあるんだそうですよ。
たまにはかわった豆で節分はいかが?