・酉の市って?
酉の市って?
皆さんご存知のように日本には十二支というのがありますよね?
年だけでなく、日、時間にもこの十二支は使われており、よく時代劇を見ていると「子の刻」などというワードが出てくるのを聞いたことがあると思います。
そのうちでも、11月の酉の日には各地の大鳥神社で蔡礼が行われるんです。
なぜ、酉の日って思うでしょう?
これにはいくつかの説があるんです。
埼玉県にある鷲宮神社にて、文永2年(1265年)日蓮宗の日蓮宗の宗祖、日蓮上人が千葉県の小早川家に滞在した時国家平穏を祈っていると金星が明るく光り、鷲妙見大菩薩が現れたと言われています。
これにちなんで、浅草の長国寺では創建以来酉の市には鷲山寺から鷲妙見大菩薩の出開帳が行われるようになったというもの。
江戸時代の武蔵国南足立郡花又村にある大鷲神社がこの時期非常に栄えていたそうです。
この近隣住民の収穫祭が酉の市の発端とする説。
鷲大明神は別名、鶏大明神とも呼ばれており、当時の氏子は鶏肉を食べるのを忌み、社家は鶏の卵も食べないほどだったとか。
近くの農民は鶏を奉納して祭りが終わると浅草寺観音堂前に放っっていました。
もう一つは鷲神社の祭神である日本武尊が東征の戦勝祈願を鷲宮神社で行い、見事勝利!!
その祝勝を花畑の大鷲神社の地で行ったそうです。
その後、日本武尊が亡くなった日とされる11月の酉の日には大酉祭が行われるようになります。
その際に社前の松に武具の熊手を立てかけたことから熊手を縁起物とするんだそうです。
と、酉の市の発端にはいろいろな説があるようですが、当時の社が綾瀬川に面しており、水路を使った交通が盛んで人々が集まるには条件が良かったようです。
酉の市も年を重ねるごとに盛大になり、江戸市中から参詣社が集まるようになりました。
ところが、辻賭博が開かれるようになったため、禁止令が出され賑わいは衰退していったといわれています。
現在でも酉の市の賑わいはTVを通じても伝わってくるのですから、今より娯楽の少なかった江戸時代の酉の市の賑わいは相当のものだったのではないでしょうか?